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院長の紹介

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私はこれまで呼吸器内科を中心に診療してまいりました。
呼吸器内科の分野は患者さんが多いわりに、専門医が少なく、未知の部分が多い分野です。多くの同期が循環器や消化器といった人気分野に進む中、呼吸器の未知の部分に挑戦したい気持ちが芽生え、呼吸器の道を選びました(天の邪鬼精神も関わってますが、笑)。

自分自身アレルギー体質であったため、アレルギーの分野にも興味があったこと、増加するアレルギー患者さんの役に立ちたいという思いから、呼吸器の中でも喘息、咳の診療・研究にのめり込んでいきました。

喘息や咳の患者さんの多くは治療で良くなります。夜ねれない、咳のしすぎで胸が痛い、食欲もなくなる。そんなつらい症状が治療で良くなり、次の診察に来られたら別人のように元気になられていたり、喜びの声をいただけたりすると私自身本当に嬉しいですし、大きなモチベーションになります。

長引く咳や喘息の症状は日常生活に大きな影を落とします。一刻も早く症状がよくなり、日常を取り戻していただきたい。そう思って日々診療しています。

病気は誰にとっても不安なものです。病院はなるべくなら避けたい場所。そんな場所に来られる患者さんが安心して納得いただける医療を提供したい。患者さんは勿論、スタッフである私たち自身、そして地域の方々も笑顔になれる、元気になれる。
それぞれが持つ「そらいろ」のもと、人生を楽しむことができるようサポートできればと思っています。


プロフィール



マツオカそらいろクリニック院長

松岡 弘典

Hirofumi Matsuoka



プロフィール


星座:かに座
血液型:A型(そう見えないと言われます。どういう意味??)
好きなもの
スポーツ:剣道、柔道(みること)
旅行:ふらりと旅したい
映画:バック・トゥ・ザ・フューチャー、ヒューゴの不思議な発明、ライフ・イズ・ビューティフル
絵:見ることが好き。描くのは苦手(2Dでしか描けません)
音楽:POP、ジャズ、ボサノバをあさく聞きます
食べ物:焼肉(最近は赤身が好き)、パスタ
お酒:日本酒、ビール、ワイン etc. 実は何でも好きですが、最近ハードリカーは健康のため避けてます。


院長経歴


平成11年高知医科大学(現高知大学)卒業
京都大学医学部附属病院、日本赤十字社和歌山医療センター、神鋼記念病院(呼吸器内科科長)に勤務。


資格


京都大学医学博士
日本内科学会総合内科専門医
日本呼吸器学会専門医、指導医
日本アレルギー学会専門医
Editorial Board Member of Case Reports in Pulmonology
日本剣道連盟 剣道4段


受賞等


平成17年 
Asian Pacific Society of Respirology (APSR) Excellent Speaker Award

平成22年 
第2回Innovative Asthma Association学術集会 Young investigator 賞

平成22年 
第22回日本アレルギー学会春期臨床大会 ポスター大賞

平成23年 
第5回NPO法人西日本呼吸器内科医療推進機構 研究部門 奨励賞

平成28年 
第69回兵庫県医師会医学会医学研究賞


ストーリー


幼少期

四国の自然豊かな片田舎で生まれ育ちました。5歳の時に、内科医である父親の研究留学のため家族で渡米しました。現地の幼稚園に入り、頭一つ大きい現地の上級生にちょっかいを出されながらも楽しく過ごしていたように思います。週末や休暇には、家族で他の州へ車で旅行したり、現地の動物園に連れて行ってもらったりと多くの思い出を作ってもらいました。


小学時代

私が小学生の頃はまだおおらかな時代で、田んぼや山川で友達とのびのび遊んでいました。父親が経験者であったこと、また防具がカッコイイ!という単純な理由で、小学1年のときに剣道を習いはじめました。冬は寒く、夏は暑く、先生は怖い・・と練習が嫌で仕方ありませんでした。それをよく親に引きずられながら練習に通ったものです。(笑)当時はその後20年以上も剣道を続けることになるとは、露程も思いませんでした。


中学時代

私の進学した中学は小中一貫校でした。中学から途中入学した私は、小学校から上がってきた同級生よりも同じく中学途中入学組といることが多かったように思います。中学では剣道をやめようと思っていたのですが、(理由は忘れましたが)なぜかまた剣道部に入りました。(笑)弱小チームで、練習もあまりしない部でした。部員も少なかったため試合に出ることもできず、体力もついてくる思春期のこの時期、エネルギーを持て余すこともありました。親には心配をかけていたかもしれません。


高校時代

高校に進学した私は、中学時代の不完全燃焼感と、小中学校の時の先輩に導かれたことから、再び剣道部に入ることになりました。中学校の頃とは打って変わり、厳しい先輩との上下関係と練習が待っていました。

残念ながら剣道を楽しいとは思えませんでしたが、高校2年生の時、団体戦で県大会優勝、個人戦でベスト4に入りました。高校3年生の時には、副キャプテンとなり、国体の強化メンバーに選ばれたものの、他府県の強剛と対戦し、自分の実力は全国レベルではないことを思い知ることになりました。

気づけば3年の夏、このまま剣道を続けるか迷いましたが、剣道への思いよりも進学への思いが強かったこともあり、国体強化メンバーを途中辞退し、医学部を目指し勉学に集中することを選びました。今思えば本当にしんどい部活でしたが、同期にも恵まれ、楽しい高校生活だったと思います。


医師への道

医師になることは、高校生のときに決めました。医師を志した理由は、医師であった祖父や両親の影響が少なからずあったと思います。

私の父は内科医ですが、研究者でもあり、長らく単身赴任で夜遅くまで研究してたため、物心つくまで父と家でゆっくり共に過ごせませんでしたが、「臨床医もいいが、研究は成果がでれば一度に何万人もの患者さんを救える可能性があるんだ。」「人に喜んでいただける仕事を選びなさい。」そんなことをよく酒を飲みながら語っていた言葉ははずっと心に残っていました。

一方、祖父は田舎の赤ひげ先生でした。夜も患者さんから連絡がくる可能性があったので、いつも私服のまま寝ていたそうです。若い頃はハーレーダビッドソンで往診に行っていたようなかっこいい祖父でした。よく祖父の家に遊びに行っては遊んでもらいました。

偉ぶることなく診察していた祖父は多くの患者さんに慕われていました。私が神戸で働くようになり、祖父は他界しましたが、今でももっと色々な話がしたかったと思う時があります。囲碁が趣味であった祖父、今では私の息子が祖父の碁盤を継いで碁を打っています。


大学時代

一浪の末、第一志望校は不合格となり、後期試験で合格した高知医科大学(現高知大学医学部)に進学しました。当時高知にはコンビニエンスストアもなく、都会らしい遊びはほとんどできない場所でした。そのためか部活に打ち込む学生が多かったように思います。私は大学でも剣道部に入り、力を入れてがんばりました。

大学に入りようやく剣道の面白さ、奥深さを知ることができ、これまで剣道をやっていてよかったと思えるようになりました。普段の授業はさぼりがちで、同級生や部活の先輩や後輩と海や川釣り、浜辺で酒盛り、徹夜で海釣りをするなど楽しい学生生活を送りました。


医師へ

父のようにいつかは研究をしてみたいという思いがあったことと、色々な診療科を経験したいという思いから、当時はまだ大学病院としては数少ないローテーション方式を採用していた京都大学附属病院で働くことにしました。一緒に働いた同期は皆優秀で刺激的な職場でした。皆仲もよく、仕事が終わるとよく飲みにも行きました。当時の仲間とは今でも連絡を取り合うことがあります。

2年目からは日赤和歌山医療センターに勤務し、救急や集中治療室などを経験しました。医師生活3年目に入り、そろそろ専門性を高めるべく、専門科を選択する時期になりました。自分が昔からアレルギー性鼻炎を持っていたことからアレルギーに興味を持っていたこと、また救急疾患にも惹かれていたこと、他の臓器に比べまだまだ謎に包まれた「肺」に興味があったことから呼吸器内科を選択しました。

とはいえ呼吸器内科は治療が困難な病気が多く、無力感を感じることもしばしばです。「病気と付き合っていく」必要のある患者さんと伴走しながら、医師の一方的な価値観による治療方針を押し付けるのではなく、個々の患者さんの考え方や思いを汲みながら治療するよう心掛けました。


神戸へ

4年間の大学院生活を終え、和歌山時代に大変お世話になった上司が神鋼記念病院呼吸器内科の責任者として赴任されていたこともあり、神戸に赴任することになりました。

海や山が近くにあるのに都会もある。人々は優しい。そんな神戸を好きになるのに時間はかかりませんでした。病院で働く中、病気で亡くなる方も多かったですが、患者さんだけでなく、看病されている家族の方も後悔が残らないよう配慮することにも努めました。

今でも遺族の方から手紙やお土産を頂戴することがあり、その度に前向きに闘病されていた患者さんの顔がまぶたに浮かびます。

神鋼記念病院では臨床だけでなく、臨床研究、学会発表や論文作成、後輩の指導など多くの経験をさせていただきました。このように自由に活動をさせていただけたのは一重に上司である鈴木先生のおかげでした。今でも感謝の念に堪えません。病院生活をしていく中で40歳迎えた頃より将来どういう生き方をしたいか、深く考えるようになりました。

長引く咳や喘息の患者さんが初めて外来に来られた時、多くの方はしんどそうで不安な表情をされています。でも治療がうまくいった時の患者さんの明るい表情や「先生、よくなったよ。ありがとう!」という言葉を頂いた時、何より嬉しく、この道を選んで良かったと思える瞬間です。

咳や喘息で悩まれている患者さんは年々増えてきているにもかかわらず、専門家は少ない状況です。後進を育てることで世の役にたてればと考えたこともありましたが、咳や喘息患者さんに向き合って診療する方が自分の性に合っていると感じ、開業を考えるようになりました。


笑顔のために

考えた末、お世話になった上司や病院のスタッフには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、独立することを決意しました。私もそうですが、病院はなるべく行きたい場所ではありません。しかも行った先の病院の先生が怖かったり、スタッフの対応が冷たかったりするとしんどい体が余計しんどくなってしまいます。

患者さんが安心して通うことができる、クリニックに来ると笑顔がこぼれる。そんなクリニックにしたい。そんな決意を胸にクリニックを作る決心をしました。

開業して咳や喘息に悩む患者さんが実に多いことが分かりました。長年咳の原因がわからず、不安を抱えた患者さんが県外など遠方からもたくさんいらっしゃいます。原因がわかり、症状が改善し、元気になる姿をみられるとこの仕事をしていたよかったと思えます。

講演会一覧


2017


2016


2015


2014


2013


2012


2011


2010


2009


論文(共著者含む)